2022/03/01

まず、神の国とその義とを求めよ。そうすれば、それに加えて、すべての必要なものが与えられる。(マタイ6・33)

よい父である神様が、子供であるわたしたちを決して忘れることなく、困っている時に必ず手を伸ばしてくださるでしょう。

2022/02/28

イエス・キリストは富んでおられたのに貧しくなられた。あなたがたがキリストの貧しさによって富むように。(二コリント8・9)

貧しくなって十字架の苦しみをわたしたちのために耐えられたイエス様に、どんな恩返しをすれば良いでしょうか。考えてみましょう。

2022/02/27

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる。(マタイ28・20)

これは、イエス様の約束です。まちがいなく守ってくださることでしょう。


2022/02/26

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコ10・13、14)

小さい子供でも、幼稚っぽいといわれるが、大きな決断をして貫くことがあります。私も小学生の時に、わからないがミサに通いながら神父になろうと思いました。実際にいろんなことを乗り越えてその考えを持って貫いたのです。イエス様が、子供たちをそのように信頼して見ておられたことでしょう。

2022/02/25

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしのおきてである。(ヨハネ15・12)

この文章を読むと、わたしを同じように愛してください、と言われているのではないかと思われますが、そうではなくて、みんなに対して同じような愛を示してくださいと仰っています。イエス様が自分の事よりみんなの事を考えていてくださいます。

2022/02/24

「主よ、主よ」という人が皆、天の国に入るのではない。父のみ旨を行う人だけが入る。(マタイ7・21)

神様は、ことばだけではご満足されません。ことばと一緒に行いを求めておられます。それに応えるようにいたしましょう。

2022/02/23

わたしは道、真理、いのち。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行かれない。(ヨハネ14・6)

イエス様以外に父である神様への道を、そのようにはっきり示してくださった方はおりません。

2022/02/22

主はシモン・ペトロに仰せになった。「わたしは、お前の信仰がなくならないように祈った。立ち直って兄弟たちを力づけなさい。」(ルカ22・32)

おそらく、わたしたちに対しても同じ言葉をかけてくださっております。その使命を果たすようにいたしましょう。

2022/02/21

あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。(使徒ヤコブの手紙13・13-15)

わたしたちが、本物かどうか言葉だけで示すことはできません。良い行いによって周りの人に刺激を与えて、その人が自分も同じようにしたいと思うようになるということでしょう。

2022/02/20

赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。(ルカ6・37、38)

してもらいたいだけで他人にしてあげないとわがままになり、恩返しできません。自分のことだけで考えてしまって、イエス様に全く倣わないようになります。

2022/02/19

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしのおきてである。(ヨハネ15・12)

わたしたちは、イエス様が愛してくださったように、他の人を愛することはとてもできないような感じを受けます。しかし今日のみことばは、自分にしてもらいたいことを他の人にもしてあげなさい。という言葉に置き換えることができるのではないかと思います。

2022/0218

人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。(使徒ヤコブの手紙2・24、26)

わたしたちは、祈りをちゃんとすれば、また日曜日のミサに参加してちゃんと祈りすればもう大丈夫と思ってしまうのではないでしょうか。それだけでは足りません。それが、今日のみことばの意味なのでしょう。

2022/02/17

わたしたちの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。(使徒ヤコブの手紙2・1-4)

わたしたちも思わずそのようにしてしまうのではないでしょうか。注意しましょう。

2022/02/16

神はわたしの光、わたしの救い、わたしはだれも恐れない。神はわたしのいのちのとりで、わたしはだれをはばかろう。(詩編27・1)

神様が、このように守ってくださいますので、どういうことがあっても恐れることはないのです。

2022/02/15

御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。(使徒ヤコブの手紙1・18)

したがって、すべての物は人間のために役立つものとして造られたわけです。ご自分の為だけではなくすべての人々のことを考えて神様はそのようになさいました。


2022/02/14

信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。(使徒ヤコブの手紙1・2-4)

忍耐なしに何も得ることはできないわたしたちです。特に信仰の場合は、毎日同じことを繰り返して忍耐強く生きることによります。


2022/02/13

神は世を愛し、ひとり子を与えられた。子を信じる人が一人も滅びることなく、永遠のいのちを得るためである。(ヨハネ3・16)

わずかな楽しみではなくて、ずっと永遠に至るまでの約束です。

2022/02/12

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる。」(マルコ8・2-3)

イエス様は、ほんとうにやさしいですね。きっと、わたしたちに対しても同じようにされるでしょう。

2022/02/11

神よ、わたしたちの心を開き、あなたの子が語られることに心を向けさせてください。(使徒言行録16・14)

今日一日、御子が、わたしたちに必ず良い道を歩ませ力のことばを心の中で聞かせてくださることでしょう。

2022/02/10

わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。父とわたしは、その人のところに来てともに住む。(ヨハネ14・21、23)

今日もともに住んでくださる父である神様とイエス様が、必ずわたしたちを守りよく導いてくださることでしょう。

2022/02/09

神は、御ひとり子をお与えになるほど世を愛された。(ヨハネ3・16)

神さまは、自分にとって一番大切な方をわたしたちに与えてくださいました。わたしたちも神様に、ケチにならないで寛大に、いらないものではなくて自分の大切なものを差し上げましょう。

2022/02/01

主はわたしの病いを身に負い、わたしたちの苦しみを担ってくださる。(マタイ8.17)

イエス様は自分の苦しみと十字架の死によって、わたしたちの病も苦しみも天国の道になるようにしてくださいました。快くこのことを心に留めましょう。

2022/02/03

今日は福者ユスト高山右近殉教者の記念日です。

16世紀に信仰の故に多くの信者が殉教しました。
その勇気を称えると同時に私たちもどんなことがあっても、何をされても、最後までイエス様に忠実に生きることが出来るように願いましょう!

2022/02/02

親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。(ルカ2・39)


おそらく田舎の生活でいろいろ苦労をされたことでしょう。しかしそれをわざわざ選んだような感じがします。どんな人の力にもなるだろうと思います。