このブログでは、ヴィタリ神父(カトリック山口教会協力司祭・イエズス会)からカトリック山口教会信徒向けに、毎日配信される「今日のみことば」を紹介しています。みなさま方には、このことばを今日一日を生きるヒントにしていただければ幸いです。
わたしはいのちのパンである。わたしのもとに来る人は飢えることがなく、わたしを信じる人は渇くことがない。(ヨハネ6・35)
ふしぎなパンはイエス様自身であるから、その不思議な力がある。イエス様のもとに来れば、同じ命で生きるから飢え渇くことがないのです。
「主よ、主よ」という人が皆、天の国に入るのではない。父のみ旨を行う人だけが入る。(マタイ7・21)
神様が、言葉にだまされない。その実行を求める。
わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。(一ヨハネ4・16)
わたしたち人間が、素直に神様に従わなくても、神様が諦めずにわたしたちを愛し続けております。
見よ、わたしはすべてを新しくする。わたしはアルファであり、オメガである。渇く者にはいのちの泉から飲ませる。(黙示録21・5、6)
いのちの泉を飲んで、どんな困難も乗り越えるようにいたしましょう。
わたしがあなたと共にいて助け
あなたを救い出す、と主は言われる。(エレミヤ15・20)
イエス様の約束なので、必ず守られる。み言葉を心に留めて、今日も過ごしましょう。
良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。(マタイ13・37、38)
わたしたちは、世界に蒔かれた良い種のようなものです。豊かな実を結ぶようにいたしましょう。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。(マタイ20・28)
わたしたちもそれに倣って尽くしましょう。
求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(ルカ1・9、10)
必ず、イエス様はこの約束を守るので、ためらうことなくこのようにいたしましょう。
あなたがたの魂が救われるように、心に植えつけられた神のことばを受け入れなさい。(ヤコブ1・21)
みことばを受け入れて実行すれば、必ず救われます。
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じたのです。(二コリント5・17)
イエス様と一緒にいつも新しくスタートできます。ですから、過去のことを心配しすぎないようにいたしましょう。
神はわたしの光、わたしの救い、わたしはだれも恐れない。
神はわたしのいのちのとりで、わたしはだれをはばかろう。(詩編27・1)
それで今日も安心して過ごしましょう。
主の言葉がわたしに臨んだ。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。」
(エレミヤ1・4、5)
わたしたちが、なんとなく生まれた訳ではなく、望まれた者として生まれました。
わたしを愛する人はわたしのことばを守る。わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のもとに行く。(ヨハネ14・23)
イエス様は、まちがいなく約束を守ります。わたしたちも、そのように本気になって、イエス様の期待に応えましょう。
わたしは神を愛する。神はわたしの声を聞き、日々祈り求めるわたしに耳を傾けてくださった。(詩編116・1、2)
まちがいなく今後も、神様が、わたしの祈りと嘆きを聞き入れてくださるでしょう。
よい心で神のことばを保ち、忍耐をもって実を結ぶ人は幸い。(ルカ8・15)
忍耐をもって、それができるので頑張りましょう。
彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。(マタイ12・20、21)
この預言者イザヤの言葉は、イエス様が実現したものとしてマタイ福音書が述べている。心に受け留めましょう。
わたしたちは、十字架につけられたキリストをのべ伝える。キリストは神の力、神の知恵である。(一コリント1・23、24)
いくら考えても、他の救いの道がありません。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。(マタイ11・28、29)
イエス様が示しておられる道は、苦労があっても無駄な苦労ではない。必ず実りがある。
あなたがたは神の子どもである。そのため神は、「アバ、父よ」と叫ぶ御子の霊をあなたがたの心に注がれた。(ガラテヤ4・6)
神様が、良い父親なのでどういうことがあっても、いつでもその御助けを呼ぶことができる。
神に心を閉じてはならない。きょうこそ神のことばを聞こう。(詩編95・8)
今日も何らかの形で、神様がわたしたちの心に語ってくれるでしょう。心の耳を開いてその言葉を心に留めましょう。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。(マタイ10・37)
親も兄弟姉妹もみんな神様からいただいたので、神様を一番に愛するのは当然のことでしょう。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。(ルカ10・27)
この二つの掟を守ることによって、すべてのするべきことを果たせるのです。
だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。(マタイ10・32、33)
厳しい言葉ですが、当たり前でもあります。してもらいたければ、してあげなくてはならないということでしょう。
主の道は正しい。
神に従う者はその道を歩み
神に背く者はその道につまずく。(ホセア14・10)
神様が、人生の歩みを間違えないように注意させようとしておられます。
神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。(マルコ1・15)
私たちは、神に国の到来を待ち望むような人生です。最後にそこに入るには、人生を通してたえずその到来を求めていくことです。
神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。(マルコ1・15)
自分の力では何もならない。
神様に頼るしかない。
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。(マタイ9・35)
まちがいなく今でもイエス様が、わたしたちの町や村を回って、同じような印象を受けておられます。必ず手助けしてくださるでしょう。
神はいつくしみ深く、そのあわれみは限りなく、そのまことは代々に及ぶ。(詩編100・5)
神様は、決して裏切ることもなく、約束をちゃんと守ります。
母がその子を慰めるように
わたしはあなたたちを慰める。(イザヤ66・13)
神様が、どんな母親よりもたえずわたしたちに対して、そのようにしてくださっております。
羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。(ヨハネ10・27)
毎日長い時間羊と一緒に過ごすので、羊によく知られております。わたしたちも祈りなどして、神様と一緒に過ごせば、神様のことをよくわかるようになるのではないかと思います。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マタイ9・13)
わたしたちが、いろいろ欠点があり罪も犯しております。しかし、それに驚かないで、わたしたちを支えるためにイエス様が生まれました。それを思い出してもう少し頑張りましょう。