このブログでは、ヴィタリ神父(カトリック山口教会協力司祭・イエズス会)からカトリック山口教会信徒向けに、毎日配信される「今日のみことば」を紹介しています。みなさま方には、このことばを今日一日を生きるヒントにしていただければ幸いです。
貧しい人に福音を、捕らわれびとに開放を告げるため、神はわたしを遣わされた。(ルカ4・18)
イエス様が、自分についてそう仰っております。わたしたちも、似た使命を与えられております。それを果たすように今日も努めましょう。
神よ、あなたはいのちの道を示してくださる。
あなたの前にはあふれる喜び、
あなたのもとには永遠の楽しみ。(詩編16・11)
安心して、今日の一日もすごしましょう。
真理と正義のためにいのちをささげた聖人にならい、わたしたちも、力を尽くして福音のあかしとなることができますように。(洗礼者聖ヨハネの殉教 集会祈願)
聖人になるのは難しいが、それに近づくことができる。頑張りましょう。
わたしは心やさしく、へるくだる者。わたしのくびきを受けて、わたしにならいなさい。(マタイ11・29)
このイエス様の姿を忘れずに、今日もわたしたちはそのようになるよう努めましょう。
聖モニカ 記念日
今日は、聖モニカの祝日です。我が子アウグスチヌスを涙と祈りをもって聖人になるように導いたお母さんです。それに倣って、わたしたちも諦めずに子供たちとお家の方のために祈りましょう。
目覚めていつも祈っていなさい、人の子の前にふさわしく立つことができるように。(ルカ21・36)
わたしたちが、永遠にこの世に住み続けるのではないから、主の前に立つために準備しましょう。
あなたの豊かな恵みを思い、
喜んであなたの正義を歌う。
その恵みはすべてのものに及び、
いつくしみは
造られたすべてのものの上にある。(詩編145・7、9)
今日も、わたしたちの上にその恵みがそそがれる。安心して過ごしましょう。
父がわたしのために国を備えてくださったように、わたしもあなたがたに国を備える。その国で、あなたがたはわたしと食事をともにする。(ルカ22・29、30)
神様が、それによって、自分の生活にわたしたちを招いて自分のいのちに与らせてくださるのです。
わたしは世の光である。わたしに従う者はやみのうちを歩むことなく、いのちの光をもつ。(ヨハネ8・12)
神様からいただいた光は、照らすだけではなく生かす光でもあります。その光を浴びて安心して過ごしましょう。
神が言われたことは必ず実現すると信じた人は幸い。(ルカ1・45)
マリア様に対してだけでなく、わたしたちに対しても、神様が言われたことが必ず実現されていきます。
わたしは道、真理、いのち。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行かれない。(ヨハネ14・6)
イエス様が自分の命をささげて、わたしたちのために、父の元に行く確かな道を開いてくださった。
あなたがたの父は天におられる方ただひとり。あなたがたの師はキリストただひとり。(マタイ23・9、10)
わたしたちを一番先に考えてくださった神様なので、本当にまことの父であります。駄目になったわたしたちを救い出すために死んでくださったイエス様が、ただひとりの救い主と言えましょう。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしのおきてである。(ヨハネ15・12)
難しいが、イエス様がその模範を示してくださったから、そのように求められるのです。
神に心を閉じてはならない。きょうこそ神のことばを聞こう。(詩編95・8)
必ず、今日も神様が話しかけてくれるでしょう。
主はわれらの牧者、わたしは乏しいことがない。(詩編23)
神様が、良い牧者として昼も夜もわたしの傍におられます。それで安心できます。
「主よ、主よ」という人が皆、天の国に入るのではない。父のみ旨を行う人だけが入る。(マタイ7・21)
神様が、わたしたちの行いをも見たいのです。
マリアは天に上げられた。天使の群れは喜びに輝く。(聖母被昇天ミサの言葉から)
わたしたちも喜んで、力づけられております
羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。(ヨハネ10・27)
わたしたちも、イエス様に知られているから安心して過ごせているのです。
人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」(マタイ19・13、14)
親が子供に対して、何が良いかを時々わかっていない。イエス様は、よくわかっているからそのようにおっしゃっています。
わたしは世の光である。わたしに従う者はやみのうちを歩むことなく、いのちの光をもつ。(ヨハネ8・12)
いのちの光を持つならば、他の人にたいしても道を照らすことができる。
わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。父とわたしは、その人のところに来てともに住む。(ヨハネ14・21、23)
イエス様が共に住んでくださったら、どんなことがあっても大丈夫。
わたしに仕えたい人はわたしについて来なさい。わたしがいる所にはその人もいる。(ヨハネ12・26)
イエス様と一緒なら、どんなことがあっても大丈夫>
わたしは心やさしく、へりくだる者、わたしのくびきを受けて、わたしにならいなさい。(マタイ11・29)
苦しいことでも、イエス様がご一緒にいてくださるので、わたしたちも、どんなことでも耐えるようにいたしましょう。
人の子は、仕えられるためではなく仕えるため、また、多くの人のあがないとして、自分のいのちを与えるために来た。(マタイ20・28)
イエス様が、わたしたちの罪をつぐなうために、あがないとして自分をささげてくださった。
神はその住まいから、地に住むすべての人に目をそそがれる。(詩編33・14)
それは罰するためではなく、助けるためです。父である神様が、わたしたち子供のことを心配してくださっております。
光り輝く雲の中から声が聞こえた。「これはわたしの愛する子、わたしの喜び。彼に聞け。」(マタイ17・5)
その子に聞けば、まちがいなく父である神様に喜んでいただける。
神は、御ひとり子をお与えになるほど世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠のいのちを得るためである。(ヨハネ3・16)
一番大切なものを与えてくださった神様に、わたしたちも寛大に応えましょう。
人の子は、仕えられるためではなく仕えるため、また、多くの人のあがないとして、自分のいのちをあたえるために来た。(マタイ20・28)
イエス様が、どのように生きて行ったらよいかを示してくださっております。わたしたちもそのように尽くして行ったら良いということです。
神を敬う人よ、神をおそれよ。
神をおそれる人には乏しいことがなく、
神を求める人はよいもので満たされる。(詩編34・10、11)
わたしたちが、神様を裏切っても決して裏切られることはない。
わたしは世の光である。わたしに従う者はやみのうちを歩むことなく、いのちの光をもつ。(ヨハネ8・12)
イエス様が示してくださる道は、必ず良い目標に達して、わたしたちを幸せにしてくださいます。
人はパンだけではなく、神のことばによって生きている。(マタイ4・4)
わたしたちが、朝から晩まで働いて食べるようにしております。しかしながら、今の食べ物はいつか役に立たなくなるのです。永遠に生きるために別の食べ物が必要です。それは、イエス様が与えて下さる食べ物です。