このブログでは、ヴィタリ神父(カトリック山口教会協力司祭・イエズス会)からカトリック山口教会信徒向けに、毎日配信される「今日のみことば」を紹介しています。みなさま方には、このことばを今日一日を生きるヒントにしていただければ幸いです。
ユダや人とギリシャ人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。(ローマ10・12、13)
イエス様は、どうしてもすべての人の救いを成し遂げたいのです。協力いたしましょう。
主は来られる。すべての聖人も主とともに来る。その日には大いなる光が現れる。(ゼカリヤ14・5、7)
わたしたちも、それに加わって、ご降誕される御子を迎えましょう。
救い主が来られる。もはや恐れることはない。(イザヤ35・4)
安心して、新年をも迎えましょう。
主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう。(イザヤ2・3)
まちがいなくその道は幸せまで導くことでしょう。
目ざめていつも祈っていなさい。人の子の前にふさわしく立つことができるように。(ルカ21・36)
主は、いつ呼ばれるかわかりません。いつでも準備できるようにいたしましょう。
天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(ルカ21・33)
このイエス様の約束を受けて、恐れなく頑張りましょう。
恐れずに頭を上げなさい。あなたがたの救いは近づいている。(ルカ21・28)
必ず、それを自分のものにするようにいたしましょう。
まず、神の国とその義とを求めよ。そうすれば、それに加えて、すべての必要なものが与えられる。(マタイ6・33)
このイエス様の言葉を受けて、その示される道を歩んで、何も心配することはない。
死に至るまで忠実でありなさい。わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。(黙示録2・10)
イエス様自身は、まさにそのとおりに生きておられて、最後に十字架の上で自分を捧げました。それに倣いましょう。
目ざめて用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る。(マタイ24・42)
イエスは、わたしたちを助け救うために来られます。安心しましょう。
御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。(コロサイ1・18)
わたしたちもまちがいなく支えられています。それを絶えず思い出して感謝しましょう。
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。(ルカ20・38)
それは神様が願うことで、この世で死んでもご自分のところで永遠に生かされるという言葉として受け止めましょう。
羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。(ヨハネ10・27)
まちがいなく、イエス様が良い牧場に導いてくれることでしょう。
神に心を閉じてはならない。きょうこそ神のことばを聞こう。(詩編95・8)
おそらく大切なことを聞かせてくれるでしょう。
あなたがたを世から選んだのは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るためである。(ヨハネ15・16)
イエス様が大切な仕事をするためにわたしたちを選びました。それは、すべての人が実を結ぶことができるように、イエス様の示めしている道を歩ませるためです。
神は先にわたしたちを愛し、わたしたちの罪のゆるしのために、ひとり子を遣わされた。(一ヨハネ4・10)
わたしたちが、恩返しをどのようにしたらよいかわかりませんが、真剣に考えましょう。
わたしは世の光。わたしに従う人はいのちの光をもっている。(ヨハネ8・12)
まちがいなくその光によって、わたしたちが正しい道を歩むことができるのです。
わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。(ルカ21・17、18)
言葉としてイエス様の約束を受けて安心できます。
わたしが来たのは、彼らにいのちを与え、さらに豊かに与えるためである。(ヨハネ10・10)
イエス様がそのためだけに、この世に来られました。天国に連れて行くことだけを考えて。
わたしの兄弟の最も小さな者にしたことはわたしにしたのである。(マタイ25・40)
わたしたちの周りに兄弟が多いから、このイエス様のことばを実現する機会は多いので、この掟を時々思い出しましょう。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝。わたしのうちにとどまる者は多くの身を結ぶ。(ヨハネ15・5)
今日もイエス様にしっかり結びついて過ごしましょう。おそらく良い実を結べるでしょう。
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。(一コリント3・16)
それを今日も思い出しましょう。
わたしを愛する人はわたしのことばを守る。(ヨハネ14・23)
イエス様に従うことは、ことばだけで示すだけでなく生活をもって示さなくてはならないということでしょう。
あなたがたはいのちのことばを保って、ともしびのように世を照らしなさい。(フィリピ2・16)
わたしたちは、信仰によってイエス様のことばを受け入れました。それは自分の為だけではなくみんなに示すことばでもあります。それは、ともしびのように人生を照らすことばであります。
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。(ルカ20・38)
わたしたちが死なないで永遠に生きるために、イエス様が十字架の上で亡くなられたのです。
キリストは富んでおられたのに貧しくなられた。あなたがたがキリストの貧しさによって富むように。(二コリント8・9)
恩返しが難しいが、できるだけ尽くしてやってみましょう。
わたしが来たのは、彼らにいのちを与え、さらに豊かに与えるためである。(ヨハネ10・10)
その豊かないのちを手に入れられるよう頑張りましょう。
労苦して重荷を負っている者はわたしのもとに来なさい。わたしはあなたがたを回復させよう。(マタイ11・28)
イエス様が、絶えずわたしたちを見守ってくださる。何も心配しないで今日もすごしましょう。
この世からの旅立ちは災い、
自分たちからの離別は破滅に見えた。
ところが彼らは平和のうちにいる。(知恵3・2、3)
死ぬ前に、わたしたちが絶望を感じる時もあるが、イエス様が、もっとすばらしい命に与らせるために死の苦しみにあわせられております。