このブログでは、ヴィタリ神父(カトリック山口教会協力司祭・イエズス会)からカトリック山口教会信徒向けに、毎日配信される「今日のみことば」を紹介しています。みなさま方には、このことばを今日一日を生きるヒントにしていただければ幸いです。
わたしは地上に火をつけるために来た。それが早く燃え上がることをどんなに願っていることか。(ルカ12・49)
それによって、わたしたちがもっと関心を持って、助け合うことができるでしょう。
わたしは世の光である。わたしに従う者はやみのうちを歩むことなく、いのちの光をもつ。(ヨハネ8・12)
それで幸せになるところにたどり着きます。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。(ルカ10・42)
わたしたちが、いろんなことにとらわれ過ぎて、もっと大切なことを忘れてしまう。
あわれみ深い人は幸い。その人はあわれみを受ける。(マタイ5・7)
いただくだけではいけません。いただいたならば、恩返しをしなければいけないでしょう。
「主よ、主よ」という人が皆、天の国に入るのではない。父のみ旨を行う人だけが入る。(マタイ7・21)
神様を言葉だけでは満足させることはできません。
だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。
(マタイ13・19)
しかし、そのみ言葉を実行すれば大丈夫です。
あなたがたを世から選んだのは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るためである。(ヨハネ15・16)
イエス様が選んでくださったので必ずそのようになるのです。
みことばを聞いて、それを受け入れる人は百倍の実を結ぶ。(マルコ4・20))
それはイエス様の約束です。必ずそれを守られます。
わたしを愛する人はわたしのことばを守る。わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のもとに行く。(ヨハネ14・23)
わたしたちは弱いが、そのように愛されたら大丈夫でしょう。
自分に生きるのではなく、わたしたちのために、死んで復活されたキリストに生きるように。(二コリント5・15)
そうすれば必ずイエス様が自分のところに迎えてくださいます。
主は仰せになる。「わたしは戸口に立ってたたく。わたしの声を聞き、戸口を開くなら、わたしは中に入って、その人と食事をともにする。」(黙示録3・20)
主よ、あなたが何度、来られてもぜひお迎えをしたいのです。
神はわたしの光、わたしの救い、わたしはだれも恐れない。(詩編27・1)
それで安心して今日も過ごしましょう。
羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。(ヨハネ10・27)
それは、昼と夜の間に羊のそばにいて羊を守っているからです。神様もわたしたちに同じようにしてくださいます。
労苦して重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい。わたしはあなたがたを回復させよう。(マタイ11・28)
イエス様がわたしたちの父として、必ずその責任を果たしてくださる。
父が子どもをいつくしむように、神の愛は、神をおそれる人の上にある。(詩編103・13)
神様が子どもであるわたしたちを決して忘れることはない。
神に心を閉じてはならない。きょうこそ神のことばを聞こう。(詩編95・8)
必ず良い道を歩ませてくださるでしょう。
神の正しさのために迫害される人は幸い、天の国はその人のもの。(マタイ5・10)
イエス様がそのように約束してくださるので、どんな迫害があってもそれを耐えて頑張りましょう。
すべてを超える神よ、わたしは心から感謝し、あなたの偉大なわざを告げ知らせる。(詩編9・2)
それができるようにわたしを支えてください。
神よ、み旨を行うことはわたしの喜び、あなたの教えは、わたしの心に刻まれている。(詩編40・9)
それを実行するためにわたしを強めてください。
真理の霊はあなたがたを真理に導き、わたしが話したことをすべて思い出させてくださる。(ヨハネ16・13)
主よ、わたしたちは忘れやすいので、思い出させてください。
神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。(詩編80・2)
それによって、イエス様に強められるので、どんなことがあっても乗り越えられる。
神は卑しいはしためを顧みられ、いつの代の人も、わたしをしあわせな者と呼ぶ。(ルカ1・48)
わたしたちがどのような状態になってもイエス様に見捨てられることなく、いつもわたしたちを救おうとされます。
わたしはよい牧者。わたしは羊を知り、羊はわたしを知っている。(ヨハネ10・14)
それは毎日一緒におられるからできるのです。どうぞ、わたしから離れないでください。
神は霊である。礼拝する人は、霊とまことにおいて礼拝しなければならない。(ヨハネ4・24)
主よ、そのようにさせてください。
重荷を負って苦労している人は皆、わたしのもとに来なさい。わたしはあなたたちを休ませてあげよう。(マタイ11・28)
主よ、どうぞこのわたしをも迎えてください。
あなたはいわお。この岩の上にわたしの教会を建てよう。(マタイ16・18)
弱かったペトロはイエス様によって教会の基礎となったのです。
神よ、あなたのことばはわたしの足のともしび、わたしの道の光。(詩編119・105)
それで安心して毎日過ごせます。
神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたの息吹でわたしを強め、新たにしてください。('詩編51・12)
主よ、わたしの弱さのままでついて行かれないので助けてください。
トマよ、あなたはわたしを見たので信じた。見ないで信じる人は幸い。(ヨハネ20・29)
それは難しいが必ず主の助けがあるので大丈夫。
神は、御ひとり子をお与えになるほど世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠のいのちを得るためである。(ヨハネ3・16)
そこまでしてくださった神様に何かを恩返ししなければならない事でしょう。
自分のいのちを救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また、福音ためにいのちを失う者は、それを救うのである。(マタイ8・35)
もともと神様に与えられた命であるから、神様によってのみ守られます。