このブログでは、ヴィタリ神父(カトリック山口教会協力司祭・イエズス会)からカトリック山口教会信徒向けに、毎日配信される「今日のみことば」を紹介しています。みなさま方には、このことばを今日一日を生きるヒントにしていただければ幸いです。
神はひとり子をお与えになるほど世を愛してくださった。神を信じる人は永遠のいのちに生きる。(ヨハネ3・16)
神さまが、わたしたちに与えてくださっているものは、どうでもよいものではなく、自分の一番大切なものを与えて下さっています。その御子自身です。わたしたちも、神さまに対して本当の恩返しができるようにいたしましょう。
シオンは言う。
主は私を見捨てられた
わたしの主はわたしを忘れられた、と。
女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。(イザヤ49・14-15)
わが子に対して、母親の愛情以上の愛はないと思われますが、神さまが、わたしたちに対してそれ以上の愛情を持っておられます。
神はわたしの牧者、わたしは乏しいことがない。神はわたしを緑のまきばに導き、いこいの水辺に伴われる。(詩編23・1-2)
イエス様は、だいぶ苦労しなくてはならない牧者のようですが、必ず安全なところに導いてくださることでしょう。
生きるために悪ではなく善をもとめなさい。主はあなたがたとともにおられる。(アモス5・14)
悪いことが、自分にも他人にも全く役に立ちません。善を行ってわたしたちの幸せが得られるのです。
息子よ、わたしは喜ばずにはいられない。おまえの弟は死んでいたのに生き返り、失われれていたのに見つかったのだから。(ルカ15・32)
たとえ話ですけれども、罪を犯して悔い改める時に、神さまの喜びをよく現わしております。
主を知ることを追い求めよう。
主は曙の光のように必ず現れ
降り注ぐ雨のように
大地を潤す春雨のように
我々を訪れてくださる。(ホセア6・3)
主は、必ず訪れてくださるが、わたしたちが、それを求めなければならないということでしょう。
わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。(ルカ1・38)
聖母マリアは、自分の身を差し出して、わたしたちの救いのために協力してくださいました。わたしたちも、同じ寛大さをもって神のみ旨に応えていきましょう。
わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。(エレミヤ7・23)
わたしたちの救いしか考えない神さまに、素直に従いましょう。まちがいなく、わたしたちが幸せになるように導いてくださることでしょう。
すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。(マタイ5・18)
いろんな意味する言葉ですが、イエス様が、約束されたことをちゃんと守るという意味も含まれています。十字架の死によってそれを示されております。
あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。(マタイ18・35)
わたしたちが、神さまに求めることを、できる限り他人にしてあげなくてはならないということでしょう。
わたしは神を待ち望み、そのことばに希望をおく。神はいつくしみと救いの恵みに満ちておられる。(詩編130・5+7)
神は恵み豊かに、あわれみ深く、怒るにおそくいつくしみ深い。
父が子どもをいつくしむように、神の愛は、神をおそれる人の上にある。(詩103・8+13)
どういうことがあったとしても、神さまに捨てられることなく、頼れるのです。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(ルカ2・48、49)
どうしてイエス様が、そんな冷たい言葉を使われたのかわかりませんが、神さまから与えられた使命を、お母さんであってもじゃまされないで、必ず成し遂げていくという決意だと思います。
神はひとり子をお与えになるほど、世を愛してくださった。神を信じる人は永遠のいのちに生きる。(ヨハネ3・16)
神さまが、どうでもよいいらない物をくださったのではなく、一番大切にしていた御子をわたしたちに与えてくださったのです。そこに神の愛が示されております。わたしたちも、その愛に応えるために、どうでもよいものではなく、自分の大切なことを与えましょう。
日本の信徒発見の聖母
日本のクリスチャンは、厳しい迫害に耐え、7代にわたって信仰を守り抜きました。普段の教会の支えもなくそこまでできたことは、奇跡的なことです。世代から世代へ信仰を渡して祈りつづけてそれを守り抜きました。そのことを忘れずに、迫害もなく自由なこの社会の中で、わたしたちも同じように頑張りましょう。
ゼベダイの息子たちの母が、二人の息子のために良いポストを願った時、イエス様は次のように言われました。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのと同じように。」(マタイ20・26-28)
イエス様の答えは厳しいが、必ず永遠の命に導く道を示してくださっております。苦しい時もありますが、永遠の命をいただくために無駄な苦しみではないことでしょう。
あなたがたの教師はキリスト一人だけである。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。(マタイ23・10-12)
わたしたちは、そこまでになるのは難しいかもしれませんが、イエス様の姿に倣って、少しでも近づけるよう祈りましょう。
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。(ルカ6・36-38)
してもらいたいのに、他の人にしてあげられないと、自分勝手で自分のことしか考えていない、ということでしょう。それは、成り立ちません。
わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピ3・20)
そこでわたしたちが落ち着くようになりますので、必ずたどり着くようにいたしましょう。
天の父が完全であるように、あなたがたも完全でありなさい。(マタイ5・48)
わたしたちが、完全な者になるために、どうすればよいかをイエス様がよく示してくださっています。その指示に従いましょう。
わたしは神である。罪びとの死を望まない。わたしのもとに立ち帰って生きることを喜ぶ。(エゼキエル33・11)
神さまは、どういうことがあってもあきらめません。わたしたちに、どうしても正しい道を歩ませ、最後にご自分のところで永遠の幸せに与らせたいのです。
あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。(マタイ7/・11)
遠慮なく必要なものを求めましょう。父である神さまが、がなえてくださるでしょう。
心からわたしに立ちもどりなさい。わたしはいつくしみと恵みにあふれる神。(ヨエル2・12、13)
神さまは、いくら遅くなっても、あきらめないでいつまでも待ってくださいます。
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。(マタイ6・14、15)
わたしたちは、みんなが神さまの子供です。したがって、仲良くして赦し合ってほしいと、神さまは望んでおられます。
あなたがたによく言っておく。もっとも小さい者の一人にしたことはわたしにしたのである。わたしの父に祝福された人たちよ、世の初めから、あなたがたのために備えられた国を継ぎなさい。(マタイ25・40、34)
そのように受けとめる主イエスは、それ以上返してくださるのである。このように天国への道が開かれるのです。
聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。(ローマ10・11-13)
神さまが責任を持っている父親の様な方です。遠慮なくどんなことを頼んでも耳を貸してくださる。
「わたしが望むのは、いけにえではなくあわれみである」と記されている。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである。(マタイ9・13)
どんなことがあったとしても、神さまが諦めることなく、わたしたちの救いを実現させておられます。
あなたの正義があなたを先導し 主の栄光があなたのしんがりを守る。(イザヤ58・8)
お母さんが、自分の子供を歩かせる時に、後ろから見守り、少しずつ自分自身で歩けるようにさせます。神さまが、わたしたちに対して似たようなことをしてくださいます。わたしたちは、小さい子供のように、そのように親切に後ろから見守られております。
わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。(ルカ9・23-25)
それは、イエス様ご自身が歩まれた道です。ご復活と永遠の命に至るために、他の道はございません。快くそれを歩みましょう。
わたしたちは、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。(二コリント6・1、2)
神様が、いろんな機会を通して、わたしたちがもう少しましな人間になるように導いてくださっています。それに応えて過ごしましょう。