このブログでは、ヴィタリ神父(カトリック山口教会協力司祭・イエズス会)からカトリック山口教会信徒向けに、毎日配信される「今日のみことば」を紹介しています。みなさま方には、このことばを今日一日を生きるヒントにしていただければ幸いです。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。(ローマ12・15、16)
聖パウロのすすめに従いましょう。
聖霊があなたがたに下るとき、あなたがたはその力を受けて地の果てまで行き、わたしの証人となる。(使徒言行録1・8)
今でもイエス様が、世界とすべての人々のことを考えておられます。世界とすべての人々の救いのために、わたしたちの力も求めておられます。
全世界に行き、全ての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる。(マタイ28・19)
これは、イエス様が去っていく前の最後のお願いです。なんとかしてそれに応えましょう。
わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。(ヨハネ16・26)
愛してくださるならば、まちがいなくご自分のところに、わたしたちを迎えてくださるだろう。
主イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが正しい者とされるために復活された。(ローマ4・25)
イエス様が、わたしたちを復活にたどりつかせるために、だいぶ苦労されました。わたしたちも、もう少し苦労しましょう。
人の子は、仕えられるためではなく仕えるため、また、多くの人のあがないとして、自分のいのちを与えるために来た。(マタイ20・28)
すばらしいイエス様の模範を忘れずに、自分も、毎日他の人々のために、尽くしていくことができるよう努めましょう。
わたしがあなたがたを選んで立てた。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るためである。(ヨハネ15・16)
イエス様の期待は大きい。それを裏切らないようにしましょう。
神はわたしに約束されたことを、すべて成しとげられる。(詩編138・8)
イエス様が約束を守ることを、十字架の上で死ぬことによって示されております。
死者のうちから立ち上がられたキリストは、もはや死ぬことがない。死はもはや、キリストを支配することがない。(ローマ6・9)
主はわたしたちにも、同じことを約束してくださいました。それでまた、皆一緒になれるのです。
わたしを愛する人は、わたしのことばを守る。わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のもとに行く。(ヨハネ14・23)
それによって、イエス様と一緒になれるので、今日も大丈夫!
キリストとともに復活したなら、上のことを求めよう。キリストは神の右に座しておられる。(コロサイ3・1)
わたしたちも復活するために、上のことを求めましょう。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15・12、13)
イエス様が、わたしのために命を捨てた友です。その大きな愛になんとかして応えましょう。
羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。(ヨハネ10・27)
イエス様は、ご自分が昼も夜も羊のそばにおられ、羊を守る。言うまでもなく、その羊はわたしたちのことです。このように守られているので、今日も安心して過ごしましょう。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネ15・5)
わたしたちが、毎日イエス様を思い出して祈り、祈りによってイエス様とつながるものとなります。そのようにいたしましょう。
キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになるとわたしたちは信じている。(ローマ6・8)
この希望に支えられて、どういうことがあっても生きるように致しましょう。
わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与える。それは、この世が与えるようなものではない。(ヨハネ14・27)
イエス様しか与えられない平和を、なんとかしていただけるようにいたしましょう。
新しいおきてをあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい、わたしがあなたがたを愛したように。(ヨハネ13・34)
新しいおきて実行するのに、不可能ではないかと思われますが、イエス様がそのように求めておられるので、それを実行するのに間違いなく力を貸してくださるでしょう。
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るためである。(ヨハネ15・16)
イエス様が、実を結ぶためにわたしたちを大いに期待されて、それぞれのところにおくられております。その期待に応えましょう。
主イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが正しい者とされるために復活された。(ローマ4・25)
そのためにわたしたちも天国に行けるし、また、先立たれた親兄弟にもう一度会えるのです。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる。(マタイ28・20)
大変な約束で、イエス様が本気でそれを守るのでしょうか。そのために、十字架の苦しみをたえて亡くなられたので、必ずわたしたちと一緒にいてくださるにちがいありません。
わたしがあなたがたを選んで立てた。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るためである。(ヨハネ15・16)
イエス様が、わたしたちに救いを約束してくださいました。しかし、わたしたちが、人々の救いのために働かなければならないことも求められております。その期待に応えるようにいたしましょう。
羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。(ヨハネ10・27)
わたしたちは、よい牧者であるイエス様のもとに、昼も夜も安心して従うことができます。
わたしはよい牧者。わたしは羊を知り、羊はわたしを知っている。(ヨハネ10・14)
昼も夜も羊のとなりにおられる牧者として、イエス様がわたしたちを見守ってくださいます。それで、わたしたちが昼も夜も安心することができます。
イエスは言われた。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。」(ヨハネ10・27、28)
羊飼いの生活は、とても厳しいです。特別にわたしたちの羊飼いになったイエス様の生活は、それ以上厳しかったことでしょう。
主よ、あなたのことばは霊であり、いのちです。あなたは永遠のいのちのことばをもっておられる。(ヨハネ6・63、68)
イエス様のほかに、永遠のいのちを約束してくれる方はおりません。その約束を守ることを示すために十字架の上で亡くなられ、復活されました。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしのうちにとどまり、わたしもそのうちにいる。(ヨハネ6・56)
これは単なる言葉だけでありません。イエス様が、十字架の上で自分をささげ、苦しみの中で亡くなられたのは、わたしたちに自分のすべてを与える為でした。それをいただいて、わたしたちが人生の旅を続けることができるのです。
わたしは天から下ったいのちのかて。このパンを食べる人は永遠に生きる。(ヨハネ6・51)
イエス様が、信じられない程大変な約束をしてくださいました。命をかけてそうされたので、疑いなくそのように受け留められます。
わたしの父の意志は、子を見て信じる者が永遠のいのちを保ち、終わりの日に復活することである。(ヨハネ6・40)
わたしたちが、復活までたどり着くことができるために、イエス様が人間になられたのです。
「主よ、わたしたちに父を見せてください。」イエスは答えて仰せになった。「フィリッポよ、わたしを見る人は父を見る。」(ヨハネ14・8、9)
イエス様は、父なる神を示すため、また、そのみ旨を知らせるために人間になられたのです。
人はパンだけではなく、神のことばによって生きている。(マタイ4・4)
わたしたち人間は、一生懸命働いて、それで生活が大丈夫だと思ってしまいます。しかしながら神様の力付けがなければ、パンだけでは役に立ちません。
イエスは弟子たちに「ここに来て食べなさい」と仰せになった。それからパンをとり、彼らにお与えになった。(ヨハネ21・12-13)
イエス様の細かい心遣いが感じられます。それをわたしたちにも、示してくださっているのではないでしょうか。