このブログでは、ヴィタリ神父(カトリック山口教会協力司祭・イエズス会)からカトリック山口教会信徒向けに、毎日配信される「今日のみことば」を紹介しています。みなさま方には、このことばを今日一日を生きるヒントにしていただければ幸いです。
神に心を閉じてはならない。きょうこそ神のことばを聞こう。(詩編95・8)
今日、おそらくいろいろありますが、神様が何だかの形でわたしにも語られるので、それを耳を澄まして聞きましょう。
聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使の祝日にあたって
天使の助けによって、わたしたちも力強く救いの道を歩んでいくことができますように。
死も、いのちも、他のいかなる被造物も、キリストの愛からわたしたちを引き離すことはできない。(ローマ8・38、39)
主イエスキリストのようにして下さる方もいないし、現れることもないから、わたしたちがそのイエス様の愛に頼るしかありません。
人の子が来たのは仕えるため、多くの人のあがないとして、自分のいのちを与えるため。(マルコ10・45)
主イエス様がそこまでしてくださったことを、無駄にならないようにわたしたちも犠牲があっても一生懸命するようにいたしましょう。
「主よ、主よ」という人が皆、天の国に入るのではない。父のみ旨を行う人だけが入る。(マタイ7・21)
祈りが大切ですが、行いが伴わなければ言葉だけになってしまいます。
信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。(一テモテ6・12)
難しいが、できます。頑張りましょう。
神の注がれる目は、神をおそれる人の上に、神の愛に希望をおく人の上に。(詩編33・18)
今日も、神様の目が注がれておりますので安心してすごしましょう。
人の子は、仕えられるためではなく仕えるため、また、多くの人のあがないとして、自分のいのちを与えるために来た。(マタイ20・28)
イエス様は、それで模範を示してくださいました。わたしたちも、そのように生きるようにいたしましょう。
「主よ、主よ」という人が皆、天の国に入るのではない。父のみ旨を行う人だけが入る。(マタイ7・21)
言葉だけでは足りません。行いをもってそれが真実であることを示しましょう。
わたしは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た。(マタイ9・13)
わたしたちは罪人ですが、イエス様の寛大さを信頼しましょう。
人の前で、わたしの味方であると宣言する人を、わたしも父の前で、わたしの味方であると宣言する。(マタイ10・32)
もう少し勇気をもって、イエス様の味方であることを、みんなの前で示しましょう。
人の前で、わたしの味方であると宣言する人を、わたしも父の前で、わたしの味方であると宣言する。(マタイ10・32)
もう少し勇気をもって、イエス様の味方であることを、みんなの前で示しましょう。
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい、人々があなたがたのよい行いを見て天の父をあがめるように。(マタイ5・16)
神様が、わたしたちの協力を求めておられます。寛大にそれに応えましょう。
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。(一テモテ2・4)
そのために、わたしたちの協力が求められております。そのイエス様の期待に応えましょう。
神よ、あなたは人を神に近いものとし、榮えと誉れの冠を授け、造られたものを治めさせ、すべてをその足もとに置かれた。(詩編8・6、7)
偉大な人間は、もっとしっかりして生きなければならないということでしょう。それを願いましょう。
あなたがたは、わたしが試練の中にあったときにもわたしについて来た。あなたがたに父の国を与えよう。そこでわたしとともに食卓につきなさい。(ルカ22・28-30)
イエス様について行くために、試練と困難がありますが、それは必ず報われるのです。
(イエスの十字架のそばには、……)イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。(ヨハネ19・25-27)
イエス様が、わたしたちのことを心配されて、そのようにわたしたちをご自分のお母さんに任せられたということでしょう。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3・16)
神様は、わたしたちを永遠のしあわせに導くために、厳しいことも求めますが、それはわたしたちを愛して下さっているからです。
わたしが来たのは、彼らにいのちを与え、さらに豊かに与えるためである。(ヨハネ10・10)
イエス様は、どうしてもわたしたち皆をご自分のところに連れて行きたいのです。わたしたちもできる限り協力しましょう。
神はひとり子をお与えになるほど世を愛された。(ヨハネ3・16)
それで、ご自分の一番大切なことを与えてくださいました。わたしたちも恩返しするために、どうでもよいことではなく自分の大切なことを与えましょう。
悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。(ルカ1・7)
イエス様が、罪人の回心に大きな期待をかけております。まさに、そのためにお生まれになったのです。
善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。(ルカ6・45)
したがって、今日も心の倉に良いものを入れましょう。
すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。(一コリント9・19)
今日は、イエズス会の聖ペトロ・クラベル司祭の記念日です。
彼は、黒人奴隷がひどく取り扱われることを見て、一生の間彼らに仕えて過ごすことを決心しました。わたしたちも少しでも真似しましょう。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。(マタイ1・21)
ナザレの女の子がわたしたちの救いを得るために、大きな仕事をしてくださいました。
「主よ、主よ」という人が皆、天の国に入るのではない。父のみ旨を行う人だけが入る。(マタイ7・21)
天国に入るのは、思うより難しい。しかし、出来ないことはない。
群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。(ルカ6・19)
触れたみんないやされた。わたしたちが、今そのように触れることはできないが、願えばわたしたちもいやされるのです。
羊はわたしの声を聞き分け、わたしもその羊を知り、羊はわたしに従う。(ヨハネ10・27)
羊飼いは、羊と一緒に一日過ごすから、その声を聞き分けることができるのです。わたしたちも主イエス様と毎日一緒に過ごすようにすれば、その声を聞き分けることができるのです。
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。(ルカ14・27)
わたしたち人間はわがままで、自分の利己心に打ち勝つためにどうしても理性が必要とされております。
わたしは道、真理、いのち。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行かれない。(ヨハネ14・6)
イエス様が、この世に生まれたのは救いの道を示すためです。それを歩むならば、わたしたちが必ず父である神様にたどり着きます。
人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。(Ⅰコリント4・1、2)
大変な仕事が求められておりますが、神様の助けによってできるのです。
あなたがたは神の子どもである。そのため神は、「アバ、父よ」と叫ぶ御子の霊をあなたがたの心に注がれた。(ガラテヤ4・6)
それは、単なる言葉だけではなく、事実としてわたしたちに父である神様が、自分の命をわたしたちに分け与えてくださいました。そのために、本当の意味での父であります。それを思い出して、信頼を持って「父よ」と呼び求めましょう。