このブログでは、ヴィタリ神父(カトリック山口教会協力司祭・イエズス会)からカトリック山口教会信徒向けに、毎日配信される「今日のみことば」を紹介しています。みなさま方には、このことばを今日一日を生きるヒントにしていただければ幸いです。
神はキリストのうちに世をご自分に和解させ、和解のことばをわたしたちにゆだねられた。(二コリント5・19)
わたしたちもその使命を受けて、接している人々や周りの人を、対立ではなく和解によって兄弟姉妹として生きることができるよう力を尽くして努力いたしましょう。
主は貧しい者の叫びを聞き、悩みの中からすくい出し、
主をおそれる者に使いをおくり、支えとなって守ってくださる。(詩編34・7、8)
したがって、今日も安心して過ごしましょう。
あなたがたは、わたしが試練の中にあったときにもわたしについて来た。あなたがたに父の国を与えよう。そこでわたしとともに食卓につきなさい。(ルカ22・28-30)
イエス様に従うのに、困難が時々あります。しかし、イエス様が、それを忘れずに天国で迎えて報いてくださいます。
わたしの父に祝福された人たちよ、世の初めから、あなたがたのために備えられた国を受け継ぎなさい。(マタイ25・34)
神様が、わたしたちをみな天国に、そのように迎えたいのです。
わたしは絶えず神を思う。
神はわたしのそばにおられ、
わたしはけっしてゆるがない。(詩編16・8)
神様が、そばにおられることを忘れることなく、毎日安心してすごしましょう。
おとめマリア、信じたあなたはさいわい。神からあなたに言われたことは成就される。
おそらくわたしたちに対しても、同じことを仰ってくださると思います。それを忘れないようにいたしましょう。
わたしはよい牧者。わたしは羊を知り、羊はわたしを知っている。(ヨハネ10・14)
よい羊飼いとしてたえずわたしたちを守り、安全なところで休ませてくださるのです。
神の深いあわれみによって、夜明けの太陽がわたしたちの上に昇った。(ルカ1・78)
それによって、わたしたちはもう暗闇の中におりません。歩むべき道を主イエスが照らしてくださるのです。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。(マタイ7・19、20)
役に立たなければ、大変なことになります。もう少し努力しましょう。
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。(マタイ7・13、14)
救いの道は、簡単ではありません。犠牲も必要です。しかし、必ず良い結果をもたらします。
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。(マタイ7・1)
他の人に求めることは、必ず神様に自分自身も同じことを求められています。
わたしは天から下ったいのちのかて。このパンを食べるものは、永遠に生きる。(ヨハネ6・51)
単なるパンのことではなく、イエス様ご自身のことです。イエス様とそのように一つになるならば、必ず永遠に生きるのです。
だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。(マタイ6・24)
イエス様は、妥協したり適当な形を好むことはありません。いつでも、イエス様に対してはっきりした姿勢を示しましょう。
体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。(マタイ6・22)
その明るさによって、わたしたちが悪いことを避け、良いことをするようになる。
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。(マタイ6・14)
わたしたちは、自分の過ちを赦してもらいたいけど、他の人に対して同じ寛大さを示しておりません。この聖書の言葉を忘れないようにしましょう。
わたしを愛する人はわたしのことばを守る。(ヨハネ14・23)
簡単で当たり前のことですが、それをわたしたちは時々忘れてしまいます。もう少し努力いたしましょう。
新しいおきてをあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい、わたしがあなたがたを愛したように。(ヨハネ13・34)
イエス様が、わたしたちの罪をつぐなうために十字架上で亡くなられました。わたしたちが、何の犠牲もなくそのイエス様の愛に応えることはできません。
一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。(マタイ5・41、42)
ケンカするよりも、譲ってバカになる方がましです。イエス様が、そのように振る舞いました。
あなたがたは神の子どもである。そのため神は、「アバ、父よ」と叫ぶ御子の霊をあなたがたの心に注がれた。(ガラテヤ4・6)
イエス様は、そのために御子になりわたしたちの仲間になられた。
全世界に行き、すべての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる。(マタイ28・19、20)
使徒たちに与えられた使命ですけれど、わたしたちもそれを受けております。それを思い出して、イエス様のメッセージを自分自身受け留めながら、他の人に伝わるようにいたしましょう。
あなたがたはいのちのことばを保ち、ともしびのように世を照らしなさい。(フィリピ2・16、15)
大きな使命を果たすために、忍耐をもって今日も頑張りましょう。
新しいおきてをあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい、わたしがあなたがたを愛したように。(ヨハネ13・34)
イエス様が、一番大切なことを求めてくださるのです。難しいですが、イエス様の助けがあれば必ずできます。
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。(マタイ5・17、18)
神様は、わたしたちのように考え直したりすることはなく、言われたことや約束されたことを必ず守る方です。わたしたちも、安心してそのように努めましょう。
あなたがたは地の塩である。だが、地に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。(マタイ5・13)
どんな人もそのように言われたくないでしょう。もう少し頑張れば、そのようにならないでしょう。
十字架につけられたイエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19・26)
イエス様は、亡くなる前にわたしたちを忘れないで、ご自分の母マリア様を、わたしたちに残してくださいました。
わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしはその人のところに行き、一緒に住む。(ヨハネ14・23)
聖霊によってイエス様が、わたしたちと一緒に住むことを約束してくださいました。イエス様と一緒なら、今日も安心してすごしましょう。
神はその住まいから、地に住むすべての人に目をそそがれる。
神はひとりひとりの心をつくり、そのわざを見抜かれる。(詩編33・15)
それは、罰するためではなく、わたしたちを助けるためです。
わたしの父に祝福された人たちよ、世の初めから、あなたがたのために備えられた国を継ぎなさい。(マタイ25・34)
わたしたちは頑張れば、そのようにイエス様から天国に迎えられる。
(ある夜)、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。(使徒言行録23・11)
その時から、世界のあらゆるところに、福音を宣べ伝える人たちがでかけております。イエス様が、わたしたちにも福音の宣教師になることを求めておられます。
十字架につけられたイエス・キリストのほかは、何も知らなくてもよいとわたしは心に決めた。(一コリント2・2)
それによって、神様が語ろうとすることが尽くされております。それを通して示された道を歩めば、必ず天国にたどり着くし幸せになれます。